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HISTORY OF MIKURO MIKA LIFE

私は栃木県の小さな街で生まれた。

栃木県は世界遺産日光で知られる自然豊かな場所。ただ私の育った街は見渡す限り田畑が広がり、車がないとどこへも行けないほど小さな街。

幼少期の私はごく普通の家庭に育った。祖父母、両親、兄弟。大家族だった。

ただ両親、兄弟共に離婚の経験があり、何度も家族との別れが訪れた。

まだ幼かった私は、なぜ家族なのに別れがくるのかも理解出来なかった。

そして、この複雑な気持ちを誰にぶつければ良いのか分からなかった。

だから私は全ての感情を歌うことで解決した。特に悲しい時に。大丈夫。って自分に言い聞かせる為に。

15歳の春、母は私を連れて家を出た。母は私を守る為に家を出ると言った。

その頃の私に、家庭の金銭事情など知るわけもなく、なぜ家族の元を離れるのか完璧に理解できないまま時が過ぎた。

そして母と私と祖母の3人家族になった。

満たされない感情を抱えた私にでた答えは、歌手になって有名になってお金持ちになれば、私がまた家族を1つにできるかもしれない。ということだった。

そして私はオーディションを受け事務所に所属するアーティストになった。

それは決して簡単な道のりではなかったが、私は自分の夢を叶えるための努力は惜しまなかった。

アーティストとして活動していくなかで応援してくれるファンの方々に、私たちの曲でいつも元気をもらっていると言ってもらったことがあった。

けど実際はファンのみんながいつも私に元気をくれて、幸せな気持ちにしてくれていた。

ただ、プロとして活動する以上、問われる売り上げや数字にいつもストレスを感じていた。

そして、活動を休止するという決断にいたった。

ファンのみんなの前で活動休止を告げたとき、みんなが涙していた。

そして、私は取り返しのつかないことをしてしまった。なぜファンのみんなをもっと思いやれなかったのかと何度も自分を責めた。けどもう、どうすることも出来なかった。

そして私は音楽から少し離れることを決断した。

がその頃、私の体調に異変が起きていた。いつもお腹を壊し、そんな症状を1年放置していた。

実は一度、病院にいったがストレス性の可能性が高いと言われ、精密検査は必要ないと思うと言われた。

でも一向に良くなる気配がなかったので、癌の検査をして欲しいと病院にお願いした。

そして、私のお腹の中から、3cmにも成長した大きなカタマリが発見された。

それが、陰性なのか良性なのか、その場では分からなかったが、"もしあのカタマリが癌だったら?" そう思ったらもの凄く怖くなった。

そして案の定、あのカタマリが癌であることが分かった。そして、他の場所に転移してるかどうかの検査が始まった。

私は何度も思った。 ”なぜ癌は私を選んだの?””もし私あと少ししか生きられないと言われたら私はどうしたい?”そして出た答え

【もう一度歌いたい。みんなの為に。】

 

売り上げや数字なんてどうだっていい。

とにかく私の音楽でたくさんの人を救いたい。ハッピーな気持ちにしたい。

そして、私は音楽留学も兼ね、単身ニューヨークに渡った。たくさんの出会いの中で自分らしく歌う勇気と情熱をたくさんもらった。

そして現在カナダのトロントで、【海外でであった人たちと一枚のアルバムを完成させる】

という新たな夢実現の為、奮闘している。(現在癌は完治しています。)

誰にでも人生にリミットがある。

けど、日常の中でその人生のリミットと向き合うことは少ない。

ただ、これを読んでくれているみなさんには一度考えてみてほしい。

もし、あなたが自分の人生のリミットを知ったら限られた時の中で何がしたいですか?

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